( 帰れない。)


■ 8月16日


長谷川恭雄さんの 法とは何か
という、河出ブックスから出ている本が面白いです。
そしてそういうものは、大抵内容を理解できていません。



“ 本 ”を読む というのは難しいなぁと思いますね。特に最近。
歌詞付きの曲も同様です。わたしにとっては。
あとは人との会話。諸々。


わたしはわたしのためにしか行動しない生物なのだなぁと。
“その人”が何を考えているとか、興味をもっていないことが多いです。
“何を”考えているのかには興味があります。


だからあまり知らない人の方をすきになる|尊敬することが多いのかなぁ。
親密な人や、濃密な時間をともにした人ほど、すきだと思っていないことが多い。そういう対象からは外れる。

前者はわたしを直接的に干渉してこない存在だからだろうか。
すきな人について、どのようなことを普段考えているかとかフィールドにしているかは知っていても、その人自身のバックグラウンドは知らないなぁ。

書いていて今、とてもしっくりきている。




わたしを通じてあなた以外の誰かを見つめるというその行為は、わたしが当事者である限りとても気持ち悪い。


気付いて居ないことは免罪符にならない。









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と、いうことを思った一日。

いつも思うけど、わたしがBlogにすることって大多数は他人にとってどうあっても関係ない、むしろ知ると気持ち悪くなる様な心内的なことですね。



普段考えていることを他人に話せないのは、言葉が追いつかないとかそれ以前の話。
法律がなぜ機能するのかとか、音楽が聞き手に依存する|聞き手の自由だという側面と同じことが起きている。




多くの日本人が無意識に音楽家やアイドルについて抱いている概念は(別に政治家や出身大学や家族という存在 でもいいです。)、これまた日本人が天皇制に固執したことと似ている|根源が同じ ことなのかなぁと。

日本史というものを勉強してから、ずっと引っかかっています。
神道のこととか、ポツダム宣言の受託拒否の話とか、日光東照宮を造った経緯やら何やら。


いろんなものと同じに見える。
とても、気持ち悪い。
疑われずにさもありなんとそれが存在していることが。



心理学の観点から天皇制を視たい。
それは、対象は音楽であることとかと変わりないと感じます。

ただ、天皇制の方が自分にしっくりこないので面白そうってだけです。





















■ 素敵な一日のことは忘れる。
何を書きたかったのか。公共の蜘蛛の巣で。

おやすみなさい。